今日は月曜日で定休日。
色々とチェックしたりメンテナンスしたりする日。
特にスケジュールのチェックは毎週月曜日のルーティンです。
スケジュールは
週・月・年のみならず
今年は100歳までのスケジュールものノートに書いてみてたまに見返してます。
…100歳までのスケジュールって(笑)
でも今や人生100年時代なんてよく聞く話で
そんな流れもあるのか50歳を区切りにする方も多いみたいですね。
そんな方を参考に私も50歳を一区切りに違う人生を歩んでみたいと思うようになってきてます。
もともとは60歳から、なんて思ってたけど
それじゃあ遅いし長いしで。
50歳だったら
6年後、今から準備していくとちょうどいいかなって
じゃあ具体的にどんな人生を描いてるのか。
何をどうしようかと色々画策していった中で
浮かんできては消えずに心に留まり
そこそこずっと思い続けてきて
ここ最近でやっぱりこれだと
確信に近いものが見えてきました。
【青年海外協力隊】
しかもバドミントン隊員での希望です。
これまでもブログでたまに綴ってきましたが
これが一番しっくりくるなと思ってます。
とは言ってもまだ確信とまでは言えないので
ちょっとしたときにふと語る、位の想いですが。
理由はそれぞれ。
◎TOTOSで培ったことを海外の国レベルでの活動へ幅を広げてみたい
◎ご褒美的に2年間の海外生活
◎英語が身につく
◎ライフシフトするのにぴったり
青年海外協力隊をスタート地点に50歳からのセカンドステージを進んでいきたい、
派遣期間の2年間が終わってからどんな道を選んで歩んでいくのか
きっと今いる場所からでは見えなかった景色が見えることだと思ってます。
海外生活で一旦今の流れをリセットしつつ次のステージへの流れを作っていく、
これって実は以前も似たようなことやってます。
そう、22歳の時に半年間過ごした韓国でのバドミントン留学です。
仕事を辞めてバドミントンだけやって過ごした半年間。
あそこがスタート地点で始まった今の流れ、過去を振り返るとずっと繋がってた。
【もし留学をせずに会社員のままだったら…】
なんて
後悔ではないけれど違った人生を歩んでいたことだろうと想像してしまうけれど
先日、以前勤めていた会社の近くを辞めて以来?位ぶりに通りました。
懐かしさと共に当時の気持ちがスッと自分の中に舞い降りてきたんです。
会社は倉庫業?石油コンビナートでの石油&ガスの入出荷作業が主。
毎朝8時過ぎ出社→朝礼→8時半始業→10時頃休憩→12時迄作業→13時まで昼休憩→14時半休憩→16時半迄作業&休憩→退社
毎日同じ人と同じ仕事して同じ場所で1日を過ごす日々。
それはそれで安定して楽しかったし勉強にもなった。
沢山の失敗を繰り返しながらも会社の方々は皆さん優しくて親切で
高校卒業して最初にこの会社に入ることができて幸せだった。
でも自分にとってはどこか窮屈で違和感を感じながら会社に通ってた。
この会社を辞めてバドミントン留学へ韓国に行ったのだけれど
留学という選択肢は高校3年生の時点で考えてて
家族や近しい友人以外には誰にも言わずに準備していってたので
(留学したことをバドミントン関係者には殆ど誰にも言ってなかったです)
留学しない選択肢だってあったにもかかわらず
それでも留学への道へと進んだのは
窮屈で違和感を感じる会社勤めではなく
もっと外へ出てみたいという欲求が強かったからだと思います。
………そんな当時の思いが会社の前を通った時に舞い降りてきました。
3年半勤めて2001年9月に22歳で退社→11月から留学→4月にお金もメンタルも尽きたこともあり日本に帰国。
職もお金も無くなったところから今の流れが作られていき
今日に至ります。
50歳からの青年海外協力隊は
【もっと外へ出てみたい】
という思いでは留学時代と同じです。
そして更に年齢を重ねたぶん
人生の後半戦をどう生きる?
という思いも生まれてきています。
学校の2学期制みたいに
人生にも前期後期があっていいんじゃないかなと。
前期(~50歳まで)とは違う生き方を後期(50歳~)に作っていく。
そうすることで人生2倍楽しめるのではないかなと。
それに加えて更にもう一つの理由も。
父がちょうど留学中だった時に54歳で亡くなったこともあり
人生後半戦に入るほど徐々に生きる確率は低くなるということ、
考えると【いつかそのうち】なんてことは言ってられないですよね。
こうやって今
今後のことを沸々と考えることが多くなってます。
今週のライブ配信でも50歳からの青年海外協力隊のことを語っていき
徐々に外へ向かって発信していくことで
これが本当にやりたい事なのかどうなのか
見極めていきたいと思ってます。